赤旗「土曜ワイド」 田村貴昭衆議院議員が語るお母さん

20150511_581077 今年80歳になる母は、韓国の慶尚南道で生まれました。祖父が傷痍軍人となって家族ともどもひきあげ、九州、大阪と移り住みました。

小学生の時は学童疎開を経験し、その時に家が空襲で焼けたことなどを、時折聞かせてくれました。幼心に戦争の怖さを感じました。

小さい頃の私は、体がとても弱く、思い出といえば氷枕と薬と、そして額に手をあてる母の姿…。「すぐによくなるからね」。母はいつもやさしく看病してくれました。

小学校の頃、母は家計を助けるために働きに出ました。食品工場でのきつい仕事。年々丈夫になる私とは逆に、体調を時々崩し、入院までしました。見よう見まねで炊事や洗濯をしましたが、出来が悪くても母は決まって褒めてくれました。(写真は、6歳のとき、家族旅行で山梨県富士五湖を訪れた母と田村さん)

進路選択も学生運動も自由にさせてくれた母ですが、「北九州で党の専従になる」と告げた時だけは反対されました。「ちゃんと就職してほしい…」。下宿に送られてきた手紙の文字はにじんでいて、それが母の涙だったのか、自分のものだったのかは、忘れてしまいました。

「貴昭を九州に行かせてよかった。たくさんの人の役に立って」。そう言ってもらえるのに時間はかかりませんでした。

いまは、「しんぶん赤旗」を読んで応援してくれています。

子の考えを尊重して、のびのび育ててくれたお母さん、ありがとう。いい季節になりました。また食事につきあってください。(しんぶん赤旗 2015年5月9日)