能登半島地震で大規模な火災に見舞われた「輪島朝市」(石川県輪島市)。甚大な被害から1カ月、多くの関係者がいまだに避難所生活を余儀なくされています。そんな中、朝市復活に向けた動きが始まっています。被災した朝市関係者らは、現地に入った日本共産党の田村貴昭衆院議員に再開への展望を語り、国や自治体の支援を訴えました。(日本共産党国会議員団・川辺隆史)
田村貴昭議員 現地を訪問
同市河井町の朝市通りに地元の鮮魚や野菜、工芸品など多様な店舗がずらりと軒を連ねた輪島朝市。奥能登の名所として観光客でにぎわっていました。
元日に発生した地震直後の出火で立ち並んだ店舗兼住宅など約300棟が全て焼失。逃げ遅れて亡くなった人は20人近くに。避難できた人も、店、住居、商売道具を全て失いました。
5月にも再開
29日に現場近くの道の駅で田村氏を囲んだ輪島市朝市組合のメンバーは、被害の深刻な実態を訴えました。
飲食店を営んでいたAさんは「数年前に輪島朝市が好きで東京から移り住み、食堂を始めた。こんなことになるとは」唇をかみました。
漁師で同組合理事の中道肇さんは「倒壊した家屋の仲間を助けたかったが、皆逃げるしかなかった。炎をただ見ているしかなかった」とうつむきました。
197人の組合員は散り散りになり、名簿も燃えました。多くが避難所生活となり、連絡がつかない仲間もいると言います。
そんな中でも、復興に向けた動きが始まっています。100キロ離れた金沢市の金石(かないわ)漁港で、石川県漁協などの施設を借り、5月にも朝市を復活させようとしています。その後、輪島に戻り、全国から被災地に集まる作業員などのための食堂を開きたいとしています。
市全体の復興
副組合長の関山俊昭さんは「1200年続く輪島朝市は、壊滅と復興を繰り返してきた」と顔を上げます。「仕事を失った仲間の収入源も必要だ。何より、朝市は輪島の農漁業や伝統工芸を土台にした商売。10年かかろうが、輪島市全体の復興のためにも、朝市を復活しないと」
Aさんは田村氏に、「融資だけでは多くの組合員がやめてしまう。復活のためにも、ぜひ国と行政の支援をお願いしたい」と訴えました。(しんぶん赤旗 2024年2月1日)