熊本地震 避難生活改善ただちに (1)

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 4月14日午後9時21分、そのとき私は東京にいました。熊本で震度7の地震発生、緊急事態です。熊本となかなか電話がつながりません。「倒壊家屋がおそらく数百はあろうか・・・」。いち早く益城町にいち早く入った熊本県議の山本伸裕さんからの情報で地震と被災の大きさを知りました。

 すぐに小池晃書記局長から電話がかかって「明日、現地入りしてほしい」。防災服に着替え、夜が明けるのを待って羽田空港へ。そして、福岡空港から真島省三議員と一緒に被災地に向かいました。

 

 案内してくれた益城町の甲斐支部長宅は、家は難をのがれたものの、転倒・落下物で足の踏み場もない状態です。被災者を見舞ったら「ヘリコプターの音で防災無線が聞こえない」と言われ、すぐに役場に行って町長に伝えました。被災地域で見聞きしたことを刻々東京の対策本部に伝え、一日を終えました。復興には相当の時間がかかるなと考えていたら、16日の深夜1時25分、さらに大きな本震が襲いました。

 

 震度7の大地震が2度起き、震度6や震度5を含む連続的な地震という経験したことが震災です。災害関連死を含め69名の命が犠牲となり、8万戸を超える住宅が損壊しました。平穏な生活が一瞬にして、悲しみと恐怖の世界にとってかわりました。仕事と生業を失った方は数知れず、世界に誇る阿蘇の美しい山肌が崩落、熊本の観光資源も大きく傷つきました。

 

 いまだ調査の段階ですが、全壊・半壊の住宅は全県で約1万7千棟、西原村では住家の35%が全半壊です。今も1万人近くの被災者が厳しい避難生活を強いられています。

 日本共産党国会議員団は、5月12日、河野太郎・非常災害対策本部長(防災担当相)に対し、現時点で解決が求められる問題について5つの柱で政府に対策をとるように要請しました(別項)。その第1は、避難所をはじめとした被災者の生活環境の改善です。

 

劣悪な避難所の環境

 

 5月16日の衆院予算委員会では、震災後1カ月たった避難所の劣悪な実態を取り上げました。熊本市の避難所では、主食はおにぎり・カップ麺、おかずは缶詰・レトルト食品の繰り返しです。「野菜が食べたい」「弁当など一度も出されたことがない」という被災者の声が耳にこびりついています。こんな食事では体を壊します。総理、大臣、毎日そんな食生活が耐えられますか? ――そんな気持ちで質問に立ちました。

 熊本市の「物資搬送依頼書」では、インスタント食品しか注文できない仕組みになっています。“動かぬ証拠”を示しての改善要求に、内閣府は20日、「避難所における食生活の改善」通知を出しました。通知ではバランスのとれた食事の提供とともに、炊事場や栄養士を確保することまで求めています。この通知に基づく改善を一食でも早く実現させねばなりません。

 

 環境も劣悪です。市内にある国の合同庁舎の会議室には約60人が避難していますが、湯茶の用意さえなく、エアコンが故障中で昼間の室温は29・6度もありました。「家も仕事も失った被災者にお茶の1杯も出せず、扇風機の1つも配置できないのか」と追及しました。

 政府は4月15日に「避難所などの生活環境の整備等について」という通知を出しています。そこでは、プライバシーの確保、暑さ寒さ対策、入浴、洗濯の機会確保、適温食の提供と栄養バランスの確保、高齢者や病弱者への配慮、福祉避難所の設置などを実現することとしています。しかし被災地の実態は、政府の言う「きめ細やかな支援」にはほど遠いのが実情です。IMG_3205

 

 プライバシー対策の仕切りや更衣所が整っていない避難所。人権にかかわる問題です。、政府に「期日を明確にして、通知に基づく生活改善を早急にやりあげるべき」主張。河野担当相は「ニーズに沿った環境改善に努める」と答弁しました。これから気温があがり、梅雨の季節を迎えます。冷房、防虫対策、熱中症・感染症・食中毒への予防対策など、被災者の生活環境改善のためのいっそうの努力が必要です。

 そんななか、熊本市は市内188カ所あった避難所を21カ所の拠点避難所に移転・集約する計画を進めています。「住む家もないのに出て行けというのか」と怒りの声があがりました。被災者の実情と要求に即した避難所の整備と被災者の環境改善へ、草の根の運動が求められます。

 

(福岡民報 2016年6月号 No.1651号)

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