8月21日~27日までの7日間、衆議院・総務委員会の海外派遣でエストニア、ドイツ、フランスの各都市を訪問。電子政府の取り組み、地方自治制度、地方活性化のとりくみ、ICTの先端研究などについての調査を行います。
海外派遣の参加は初めてです。ネットが通じるかな・・・などと思いつつ、羽田を出発。
フランクフルト空港を経由して、エストニアの首都・タリンへ向かいます。
タリン到着後、すぐにITの若手経営者との昼食懇談会、そして国会・政府要人との意見交換に入りました。
この建物の色合い、学校かと思いました。実は国会です。
国会で、スヴェン・セステル経済委員長から、先進的なITCの取り組みについて、詳しく伺いました。
「e-ヘルス」で、患者の病歴照会、処方箋がIDカードによってスムースになったと。
しかし、患者が希望しないと情報は他の医師には知らされないし、政府も情報を知ることができない。個人情報の扱いについて、セステル委員長は自信をもって語りました。
国会議員に対する説明資料はすべて電子化。日本は・・・やっぱり紙社会ですね。
エストニアのマルト・マキ統計庁長官から統計行政についての取り組みを伺いました。「母集団の選択が大事」「データの機密性も大事」等々、クォリティの高さを求めるこだわりがひしひしと伝わりました。
夕食時、柳沢陽子大使から、エストニアの国と人々についていろいろと教えていただきました。「しゃいなところは日本人とよく似てます」とのこと。
ロシアの苦闘の歴史を経て、「欧州に生きるバルト3国のトップランナー」と呼ばれるエストニア。現在はEU議長国で、NATO軍にも入っています。人口132万人、エストニア国民の経済・安全保障戦略を垣間見ました。
「国民は欧州のワインを飲みますが、この国はウォッカも造っています」(大使)。
なるほど-。
上空から見るベルリン。住宅、畑、森・・・端正でどこから撮っても絵になります。まじめできっちり。ドイツ国民と接してさらに実感することに。
ドイツ フラウンホーファー公共通信システム研究所を訪問しました。
実用化のための非営利団体で大学と企業との橋渡しを担い、国内・国外で様々なプロジェクトを実施。その成果はMP3プレーヤーや、IP電話(ボイスオーバーIP)など、ITの最先端を走っています。
ハウスウィルド所長の説明は、それはそれは丁寧。専門的で難しい分野の調査でしたが、理解を深められました。
私からも一問。原発からの脱却で研究所の果たす役割は?
「脱原発や廃炉で私たちが関与することはない。しかし、情報通信が途切れば、再生可能エネルギーの安定供給はできない。停電は情報が少なすぎで起こる。EUレベルで各国が調整しなければならない。自然災害の対策でも情報の発信が大事だ」。
ドイツ日本大使館は、広大な敷地に重厚な建物、圧巻の日本庭園。この場所で各国との交流が行われ、この地が歴史を見つめてきました。背筋がピンと張ります。
この大使館で、欧州経営技術大学院(ESMT)のロホル学長から、イギリスのEU離脱問題について、詳しく伺いました。
EU残留27カ国の分断は起こっていないし、離脱をもって英国の経済を壊してはならないとロホル学長。
ヨーロッパ共同体の雄としてのドイツの強い意志を感じました。
23日はポツダム市へ。ポツダム大学地方自治研究所にて、ヨヘン・フラツケン教授からドイツの地方自治制度について講義を受けました。
16の州ごとに地方自治法があり、連邦政府に対して、独自で譲らない自治があります。
ドイツの大学は、そのほとんどが州ごとの公立大学。11197にのぼる市町村へ予算を配分する役割を担います。州の役割が大きいですね。
失業や医療の公的保険は全国統一だが、教育は州によって違い、大学入学試験時の年齢も変わる。市町村の財政力によって、文化に予算がつかないなどの問題も。
合併を決めるのは市町村の意志だが、1年内に組み合わせが決まらないと、州の意志で強制となるなど、多くのことを学びました。
「州税は一旦国に入るのか?」「二重行政は?」・・・次から次へと質問が出され、あっと言う間の2時間。
ドイツの地方自治は奥が深いです。2万人が学ぶポツダム大学。すばらしい自然環境のもと、地方自治研究所では、公共で働く人も学んでいます。
ポツダム市役所では、ベルント・ルーベント副市長から、市の現状・課題について伺いました。歴史を感じさせる重厚な建物です。
会場は、歴代の参謀が食事をしながら会議を行った「青の部屋」。「テーブルの上のクッキーはその名残です」。なるほど。
ベルリンに近く、仕事や家を求めて、毎年2500~4000の人口が増えているポツダム市。課題は道路整備などのインフラ整備。兵舎が多かった地の特性を生かした街づくり、商業施設の誘致より、街の真ん中の小売りを盛り上げる施策を進めているとのこと。
保育所待機、保育士不足、旧東ドイツ地方の財政難などの自治体格差の問題は、日本と同じです。
「ドイツには生活水準の同等の法律があるもの、現状はそうなっていない。」
副市長の言葉が印象に残りました。
私のバックはドイツ国会議事堂。ここを目指して、9月には連邦議会選挙が行われます。街中にはポスターがあちこちに。
勉強を重ね、戦争の歴史と民主主義を肌身で感じたドイツの2日間でした。
おはようございます。こちらは先ほど夜が明けました。昨日、フランスのナント市に入りました。完全日没が21時で、20時でもこんなに明るいです。日本だったら、働く時間が増えてしまうかも。
25日の今日は、さらにハードな行程です。ナント市役所で少子化対策の取り組みを聞き、文化、情報関係者との意見交換、郵便局の視察を重ね、夜にパリに戻ります。
写真や記録をまとめる時間がないのがつらいところです。
8月24日、フランス国土均衡庁でヒアリング。その名の通りこの役所は国土の不均衡の対策にあたっています。
フランス全土はU字型に発展があり、国民の95%が都市部に住み、北東から南西に向かう斜め状の地域は不均衡が生じているとのこと。
ズバリ質問。解決策は? 産業誘致か地場産業の発展か、移住促進か人口流出防止か。
「それはミックスで行っていく。」そして、「中小の都市は交通対策の整備」「商店を維持していくのが課題」「ドイツは大型スーパーを認めない。小さなスーパーがあって、貧しい人も買うことができる。」
率直な回答が伺えて、たいへん勉強になりました。
地域へのアクセス、過疎地の買い物対策は、どこでも同じ悩みですね。
全仏から観光客が訪れ、市民の芸術家が育つナント市。その拠点となる場所が「リュー・ユニーク」を25日に視察しました。
「レストランで食事して、ミュージアムをのぞいていこうか。タダだし。そのあとはサウナに入って・・・」。副館長が人を引きつける魅力を語ってくれました。
出迎えてくれた展示作品は、エイリアンの作家のもの。刺激的なものにあふれています。
1986年に閉鎖された大きなビスケット工場を、市が2001年に再開発。市が大中小のフロアは変調自由。毎日、文化行事が行われています。
次に、文化振興の地方公社ヴォヤージュ・ア・ナントを訪問。ジャン・ブレーズ代表からも文化振興の取り組みを伺いました。
街中にグリーンラインを引き、それに沿って歩くと文化施設にたどり着く企画がヒット。観光客が倍増したとのこと。表現されるものは、クリエイティブルなものばかりです。
リュー・ユニークもヴォヤージュ・ア・ナントも、ナント市からの公的資金を中心に運営されています。