水俣病被害調査 拒み続ける国 全体像調べず「診断手法開発」に固執

水俣病不知火患者会の人たちとの懇談であいさつする市田氏(正面中央)=10月19日、熊本県水俣市 「まっすぐ歩くことができないんです。人から注意され初めて気づきました」。長崎で生まれ、4歳になった終戦の年に鹿児島県阿久根市折口に移り住んだ女性(79)は話します。メチル水銀による中毒症状との診断を受けたのは6年前。水俣病の症状をもちながら、国から認定されていない「水俣病患者」の一人です。患者団体は、被害の全体像と実態の解明につながる不知火海沿岸住民47万人の健康調査を求めています。
 
 女性は、中学を卒業後、岡山の紡績工場に就職。すでに手先にまひ症状があり、仕事がうまくできず、先輩から怒られ続けたと言います。夜中には、からす曲がり(熊本の言葉でこむら返りのこと)で寝られないほど。頭痛や吐き気を伴う激しいめまいに苦しめられます。その症状は今も続き、家事もままなりません。
 
不当な線引き
 
 女性のように、自分が水俣病だと知らずに苦しんできた患者が大勢います。そこには、一貫して水俣病の全体像の解明を拒んだ国の姿勢があります。
 
 水俣病の公式確認は1956年。18年後に公害健康被害補償法(公健法)が成立しました。しかし、熊本・鹿児島・新潟の3県を合わせて3万人を超える申請がありながら、認定患者はわずか2998人です。
 
 患者は1960年代後半から加害企業チッソを相手に裁判を起こし、80年以降は国や熊本県も被告に加えて提訴。2004年には最高裁で、国と県の加害責任が確定しました。それでも国は制度を見直さず、新たな訴訟が起きる事態となりました。
 
 09年には救済申請を3年間とした水俣病特措法を成立させましたが、救済されたのは3万8000人(環境省)にとどまっています。
 
 特措法の救済対象地域は、公健法上の指定地域から一定程度広げたものになりました。それでも女性が育った折口地区は含まれませんでした。
 
 折口で生まれ育った女性の夫(84)は「国は指定地域じゃないと言うが、子どもの頃、弱ったイワシや小魚がたくさん浜に打ち上げられた。汚染されていたとは知らず、みんな拾って食べていた」と話し、国の線引きの不当性を訴えます。
 
筋違いな研究
 
 特措法は住民健康調査の実施を国に求めていますが、実態解明に背を向ける環境省は、脳磁計等を使った「客観的診断手法を開発中」を理由に、いまだに実施していません。
 
 しかし、脳磁計は、手首に刺激を与え、脳の感覚野に生じる磁場の変化を計測する繊細なもの。認定患者に限定した検査でも32人中有効だったのは19人と不確実な手法です。これを客観的な判断基準にすれば患者の切り捨てにつながりかねません。
 
 実態解明につながる健康調査は本来、広範な地域の集団を対象に、症状や、分布状況に特異性がないかを調べる疫学調査が基本です。
 
 水俣協立クリニックの高岡滋医師をはじめ民間の医師が長年ボランティアで取り組んでいる水俣病患者の調査と検診では、現在の患者のほとんどが慢性的な障害であり、他の症状が軽く手足先の感覚が鈍いという人もメチル水銀曝露(ばくろ)による症状で、特措法以前と以降で重症度の分布の表れ方も変わらないことが分かっています。高岡氏は「公衆衛生学的に健康調査手法は確立しており、環境省は承知のはず。知らないふりをして筋違いの脳磁計研究に巨額の予算を投じている」と主張します。
 
 日本共産党の田村貴昭議員は11月17日の衆院環境委員会で「長年たくさんの水俣病患者を診察してきた民間医師の研究成果を真摯(しんし)に受け入れるべきだ」と要求。「手法確立を目指す」と述べるだけの小泉進次郎環境相を、「被害実態を把握したくない国の言い訳だ」と批判しました。
 
 水俣病被害者の会の中山裕二事務局長は「環境省は、健康調査の目的をあえてねじ曲げた。田村議員の指摘通り、被害者や民間医師の意見に謙虚に耳を傾けるべきだ」と話します。ノーモア・ミナマタ第2次訴訟原告団の本田征雄副団長も「広範な健康調査を期待していたが、そもそもやる気がない。不誠実さに怒りを感じた」と語ります。(しんぶん赤旗 2020年12月6日)