水俣病の公式確認から62年を迎えた5月1日、患者団体などでつくる実行委員会と熊本県水俣市が主催する「水俣病犠牲者慰霊式」が同市で開かれました。遺族や被害者ら650人が出席しました。
患者遺族を代表して、小児性認定患者の金子親雄さん(66)が「祈りの言葉」を述べました。
2歳の時に水俣病を発症。父と弟も水俣病で亡くなり、その下の弟も胎児性患者です。金子さんは、一昨年亡くなった母で水俣病の語り部のスミ子さんが、どんなに苦しく、悲しい時でも負けずに生きていたと回想し、「年月がたっても忘れてはいけない。水俣病と同じような悲劇が起きんようにしてほしい」と語りました。
日本共産党の田村貴昭衆院議員が参列、献花しました。
式典後、患者団体は全面解決に向けた住民の健康調査実施などを求めて中川雅治環境相と面談。しかし、中川氏は「ニーズにできる限り沿って対応したい」と、具体的な時期や方法を明らかにしませんでした。
水俣病は、加害企業チッソが海に流した工場排水中のメチル水銀が原因。行政による患者認定の基準は極めて厳しく、多くの被害者が救済から取り残され、いまだに裁判などに立ち上がらざるを得ない状況が続いています。(しんぶん赤旗 2018年5月2日)