頭の中をふとあの悲しい旋律が流れる。旅行を楽しむ家族連れ、手をつないで街中を歩くカップル、駅の改札で孫をハグするばあばとじいじ。そんな普通の幸せの光景に、映画「ひまわり」のシーンがオーバーラップする。戦争はあたりまえの日常を切り裂く。
映画「あの日の声を探して」も同時に鑑賞した。1999年の第2次チェチェン紛争下、両親を殺され失意で声を失った少年の物語。ロシア兵が住民を銃殺する映像、青年が軍隊生活の中で、暴力と殺人に抵抗をなくすことに戦慄(せんりつ)を覚えた。戦争は人間が持って生まれた心も改変させてしまう。
市民劇場の例会で、Pカンパニーのミュージカル「はだしのゲン」にも涙した。戦争の犠牲を受けるのは、どこでも罪なき子どもたちだ。地獄を見たゲン。“この戦争は間違っている”との父の言葉を受けつぎ、強い心で生き抜いていく。
筆舌に尽くせぬ悲しみと苦しみを経て、戦争放棄の憲法が制定され75年がたつ。いま国会では改憲勢力が多数を占め、戦争する国づくりが進行している。
戦争の愚かさ、史実と教訓を、今に生きる私たちはいくらでも知ることができる。ならば教訓をくみ尽くし、悲劇を繰り返さないことこそが、今と未来への責務である。なのに、核共有、軍事費倍増、敵基地攻撃…自公政府や補完勢力に学習機能はないのか。安倍氏の国葬は、国家が国民に弔意を強制するもので、“もの言わぬ国民づくり”の一里塚にも思える。
日本世論調査会の「平和世論調査」では、戦争回避策のトップは「平和に向け日本が外交に力を注ぐ」が32%。次いで「戦争放棄を掲げた日本国憲法を順守する」が24%だった。民意と政治の乖離(かいり)は明らかだ。ただしていかねば。
8月も今日で終わる。原発、戦争、憲法、ウクライナ…いろんなことを考え、自分なりに言葉を発し行動した。夏の不戦の誓い新たに、秋のたたかいへ。(しんぶん赤旗 2022年8月31日)