先月、福島視察の機会を得て、放射能汚染に苦しむ被害者の声を聞いてきた。南相馬市で地震や津波の被害が手つかずの地域を見た。足を踏み入れることができない地域では、「3・11」以降、時間が止まったままだ。
全町避難の浪江町。二本松市の仮設住宅で放射線量を計測したら、上限容量を9倍も上回るところで子どもたちが無邪気に遊んでいた。
「できるだけ遠くでとれた野菜が食べたい」とお母さんたち。あたりまえの地産地消が福島では非現実のものとなった。北九州に戻ってすぐの演説会でこの声を紹介したら、たくさんのカンパが寄せられ、農民組合からこれまたたくさんの米、野菜を送ることができた。
「原発はこりごり。(大飯原発の)再稼働なんて信じられません」。お母さんたちの願いに、九州から連帯し続けたい。
福島市にある飯舘村の仮設住宅。管理人の女性は涙をこぼしながら語ってくれた。「ばあば、ごめんね。福島には行けない」。県外に住むお孫さんからの電話。
故郷に戻れるのか、戻れたとして戻るべきなのか、答えの見えない問いに日々向き合っている。家があるのに帰ることができない。子や孫にも会えない。目の前に田畑があるのに作付けができない・・・こんな理不尽なことがあろうか。
「国や東電とたたかうことで、自分を奮い立たせています」。奮い立たされたのは逆に私だった。一日一回、被災地のことを思いたい。愚かな歴史を二度と繰り返してはならない。ノーモア福島。
*****************************************
“新・九沖(きゅうおき)”豆知識⑦
焼酎の消費量日本一の県は?
➀宮崎県 ②鹿児島県 ③沖縄県
答え→②