189-衆-憲法審査会 違憲明白 反対の声多数 赤嶺・田村氏 戦争法案「廃案に」

○田村(貴)委員 日本共産党の田村貴昭です。

四日の本審査会において、三人の憲法学者が安保法制案を違憲としました。後に議事録を読ませていただきましたけれども、小林節教授が、仲間の国を助けるために海外に戦争に行くのは集団的自衛権で、憲法九条違反とし、安保法制案が露骨な戦争参加法案であるときっぱり述べられました。まさにそのとおりだと思います。
日本国憲法は、国際紛争を解決する手段として、武力の行使も、武力による威嚇も禁じています。日本と密接な関係にある米国に対する攻撃が発生した場合に、日本が攻撃を受けていないにもかかわらず、時の政府が一方的に判断し、自衛隊が海外に出ていって武力行使ができるという安保法制が許されるはずがありません。明確に憲法に違反するものであります。日本が殺し、殺される道に入るものとして、断じて反対します。
そして、三人の先生方の判断と意見は、安保法制のそもそも論を国会と国民に提起したものとして大変意義があり、重要な参考人質疑であったと私は受けとめております。
マスコミからも安保法制に疑問の声が続出していますが、私の地元の西日本新聞七日付社説は、「「憲法違反」の指摘は重い」とし、「安保法制の大前提である憲法との整合性にあらためて疑義が持ち上がった。」「一度取り下げて、憲法論議からやり直すのが本筋ではないか。」と結びました。これが多数の国民の声ではありませんか。政府はしっかり受けとめるべきであります。
一昨日政府から出された「新三要件の従前の憲法解釈との論理的整合性等について」と題する見解についても、長谷部恭男教授は新聞紙上で、従来の政府見解の基本的枠組みでは説明がつかず、法的安定性が損なわれている、これ以上説得できる論理が全くないと思ったと厳しく述べられています。もはや、憲法学者も国民も納得させる論拠はないということがはっきりしたのであります。
菅官房長官は、違憲でないと言う学者もたくさんいるとし、自民党総務会長は、参考意見で大ごとに取り上げる必要はないと述べられました。私はこれに驚きました。四日の審査会は、自民党の推薦も含めて、与野党の合意を得て人選した参考人に、審査会は謝意を表し、意見を聴取したのであります。それを政権与党の中心が一顧だにしないような態度は、本審査会がないがしろにされているのではありませんか。これはゆゆしき事態です。
また、昨日撤回されましたが、中谷防衛大臣の、現在の憲法をいかにこの法案に適応させていけばいいのかとの答弁も、論拠がないあらわれであり、立憲主義を否定したことを露呈した発言でありました。
「安保関連法案に反対し、そのすみやかな廃案を求める憲法研究者の声明」の賛同者は、呼びかけ人を含めて二百十七人に達しています。重要なのは、自衛隊のあり方、これまでの海外派兵等について合憲との立場をとっておられた方も、今度ばかりはだめだと名前を出しているところにあります。憲法学者の圧倒的多数が違憲だとしていることを強く申し上げておきます。
国会が憲法違反の法律を認めていいのでしょうか。憲法を最も遵守しなければならない国会議員が、時の政権の意向で憲法を踏みにじっていいのでしょうか。私は、立法府の一員として、憲法の規範に違反する法律をつくりたくありません。
集団的自衛権の行使容認の閣議決定から、とりわけ若者の関心がこの問題に向けられています。委員の皆さんも地元で感じられておられるのではないでしょうか。
私の地元でも、こんなリアルな声を聞きました。自衛隊員の希望者が少なくなると、次は徴兵制ではないですか、安保法制に反対ですと話す大学生。父親が自衛隊員の女子高校生は、お父さんは他国の人を殺すために自衛隊員になったのではないと言っている、戦争でお父さんを殺さないでと。若い自衛隊員が集団的自衛権反対の請願署名に署名されたこともありました、日本が攻撃を受けていないのに武力を行使するのはおかしい、自分は不正義の戦争で命を落としたくないと。もっともな声ではありませんか。自分や家族は戦地に送られるのであるのか、未来を生きる青年にこんな心配な思いをさせている政治でいいわけはありません。
憲法違反の安保法制が提出され、論議すること自体、立憲主義から許されません。憲法違反、民意に反する安保法制案は速やかに撤回すべきであると強く要求いたします。
今求められているのは、憲法の実践と、そのための議論であります。例えば障害者自立支援法の違憲訴訟など、現実の政治と国民生活が憲法の保障する権利に追いついていないことは多々あり、憲法に照らしてどうなのかという議論、訴訟がそのたびに起こっています。憲法を暮らしに生かせ、国会は国民の声に耳を傾けるべきであります。国会が憲法改正の歩みを進める論議を行うのではなく、今こそ、憲法の理念、条項に国民の暮らしを合致させることが何よりも大事であります。そうした議論が大いに行われることを希望して、意見表明を終えます。