随想 手の腫れと沖縄の痛み 田村貴昭衆院議員

先週、沖縄に向かう機内で『大きなソテツはみていた』(入江幸子・いのうえしんぢ著)を読んだ。ソテツの木が沖縄戦を語る絵本であるが、こんなくだりがある。昔から床の間に置く家の宝物は、中国では硯(すずり)、日本では刀、沖縄では三線(さんしん)であると。

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戦を好まず、楽しく穏やかに暮らしてきた沖縄の人々にとって、70年前の惨劇は、決して消し去ることはできない。土地を強制的に取り上げられ米軍が居座り、さらに辺野古へ巨大な基地を押しつける。政府よ、この苦しみがわからないのか。県民集会に参加し3万5000人の参加者とともに声をあげた。

帰りの便で、ふと手の痛みを感じた。見てみたら手の甲が腫れ上がっている。虫に刺されたのか、痛みもある。よし、これは沖縄県民の怒りだとして、記憶にとどめ置こう。

自宅の近くの駅のバリアフリー化がすすんだ。「一つ前が病院には近いけど、お年寄りはこの駅で降りるよ。エレベーターがついたけね」。なるほど、このところ膝を痛めている私にはよくわかる。

戦争法案の審議がはじまった。自衛隊が武力攻撃を受ける可能性があるのに、「リスクは下がる」とうそぶく安倍首相。かつて腹痛にさいなまれた首相は、そのとき人の痛みにわが身を重ねて考えることはなかったのか。アメリカでは年間8000人もの帰還兵が自殺する。人を殺して自分も傷つく。それが戦争だ。

想像力の欠如は他人を不幸にし、ひいては自分にはねかえってくる。そんなことを考えていたら、手の腫れと痛みは治まった。しかし、消えない傷、癒えることのない痛みほど、悲しいものはない。それがわからぬ政治家には退場してもらおう。(しんぶん赤旗 2015年5月28日)