エッセイ

水曜随想 「若者の行動すばらしい」 田村貴昭衆院議員

 夜、議員会館を出たら、交差点で数人の学生がスマホをのぞいている。「国会の正門はこっちの方向だよね」 そうか、SEALDs(シールズ)の行動に向かうのか。誰に誘われたわけでもない。インターネットで情報を得て、友達と連れだって参加する。時代は変わった。

 安全保障関連法案に反対する学生と学者の共同行動のデモ隊を衆議院の前で激励した。シュプレヒコールの音頭をとる人がいない。街宣車が先導するわけでもない。〝デモ慣れ〟していない人たちの静かなデモ。だからかえってインパクトがある。

 これまで政治活動とは無縁だった人たちが、いてもたってもいられないと、立ち上がっている。戦争法案反対、憲法まもれと声を上げている。

 しかし、聞く耳もたぬ安倍暴走政治は、さらにアクセルを踏み込む。自民党の若手議員が学生たちの活動を「彼ら彼女らの主張は『戦争に行きたくない』という自己中心、極端な利己的考えに基づく」と非難した。安保法制案が戦争参加であることを自ら認めたようなものだが、戦前にタイムスリップしたような発言に開いた口がふさがらない。

 もし、私が政権与党の立場にいたらこう言うだろう。「若い人が政治への関心を持つことは大変すばらしいこと。じっくり耳を傾けたい」。自民党議員の数々のおごり高ぶった発言は、この国の主権がどこにあるのか全くわかっていないことを言い表している。

 SEALDsは、自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクションの意味。彼ら、彼女らの方がよっぽど自由と民主主義の意味がわかっているよ、自民党さん。(しんぶん赤旗 2015年8月5日)

水曜随想 「激励と宿題いただいて」 田村貴昭衆院議員

 
 NHKのドラマ「ちゃんぽん食べたか」。さだまさしさんの原作タイトルは「ちゃんぽん食べたかっ!」で、「食べたい」との意味である。哀(かな)しくもおかしい青春群像に見入るうち、無性にチャンボンが食べたくなった。

 国会では、たいがいの情報は手に入るが、食べつけたものが口に入らない。週末、九州に戻る原動力の一つは「食」となる。この前の土曜は小倉発祥の焼きうどん、日曜は長崎チャンボンの店に飛び込んだ。やっぱ、うまいっちゃ。

 さて、馬力がついたところで、各地の国会報告会へ。戦争法案の問題点、論戦の到達を語れば語るほどに、撤廃への闘志がわいてくる。「自衛隊員の自殺問題をもっと教えて」「辺野古への土砂搬出を九州からとめよう」「18歳選挙権は大丈夫?』など、安倍政権への怒りと疑問の声も数多く出され、会が終わっても、廊下で参加者との懇談が続く。この真剣なまなざしをしっかり胸に刻もう。

 えっ、国民保護法に基づく避難地域の策定は「ミサイル攻撃を想定」だと? そんな文書が学校などに流れていることを、福岡県議の高瀬菜穂子さんの報告で知った。地方選での躍進は、住民から重要な告発の情報を呼んでいる。国会でも調べてみよう。

 「これ食べてがんばって」。とある報告会で手渡された。九州名産のそうめんとラーメンだ。麺づいているなあと苦笑。「ハハ、田村さん〝麺食い〟だね」と合いの手も入った。よし、安倍政権の悪政ざんまいをスルスルと飲み干してやろう。激励と宿題をいただいて、また国会へ。(しんぶん赤旗 2015年7月1日)

随想 手の腫れと沖縄の痛み 田村貴昭衆院議員

先週、沖縄に向かう機内で『大きなソテツはみていた』(入江幸子・いのうえしんぢ著)を読んだ。ソテツの木が沖縄戦を語る絵本であるが、こんなくだりがある。昔から床の間に置く家の宝物は、中国では硯(すずり)、日本では刀、沖縄では三線(さんしん)であると。

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戦を好まず、楽しく穏やかに暮らしてきた沖縄の人々にとって、70年前の惨劇は、決して消し去ることはできない。土地を強制的に取り上げられ米軍が居座り、さらに辺野古へ巨大な基地を押しつける。政府よ、この苦しみがわからないのか。県民集会に参加し3万5000人の参加者とともに声をあげた。

帰りの便で、ふと手の痛みを感じた。見てみたら手の甲が腫れ上がっている。虫に刺されたのか、痛みもある。よし、これは沖縄県民の怒りだとして、記憶にとどめ置こう。

自宅の近くの駅のバリアフリー化がすすんだ。「一つ前が病院には近いけど、お年寄りはこの駅で降りるよ。エレベーターがついたけね」。なるほど、このところ膝を痛めている私にはよくわかる。

戦争法案の審議がはじまった。自衛隊が武力攻撃を受ける可能性があるのに、「リスクは下がる」とうそぶく安倍首相。かつて腹痛にさいなまれた首相は、そのとき人の痛みにわが身を重ねて考えることはなかったのか。アメリカでは年間8000人もの帰還兵が自殺する。人を殺して自分も傷つく。それが戦争だ。

想像力の欠如は他人を不幸にし、ひいては自分にはねかえってくる。そんなことを考えていたら、手の腫れと痛みは治まった。しかし、消えない傷、癒えることのない痛みほど、悲しいものはない。それがわからぬ政治家には退場してもらおう。(しんぶん赤旗 2015年5月28日)

赤旗「土曜ワイド」 田村貴昭衆議院議員が語るお母さん

20150511_581077 今年80歳になる母は、韓国の慶尚南道で生まれました。祖父が傷痍軍人となって家族ともどもひきあげ、九州、大阪と移り住みました。

小学生の時は学童疎開を経験し、その時に家が空襲で焼けたことなどを、時折聞かせてくれました。幼心に戦争の怖さを感じました。

小さい頃の私は、体がとても弱く、思い出といえば氷枕と薬と、そして額に手をあてる母の姿…。「すぐによくなるからね」。母はいつもやさしく看病してくれました。

小学校の頃、母は家計を助けるために働きに出ました。食品工場でのきつい仕事。年々丈夫になる私とは逆に、体調を時々崩し、入院までしました。見よう見まねで炊事や洗濯をしましたが、出来が悪くても母は決まって褒めてくれました。(写真は、6歳のとき、家族旅行で山梨県富士五湖を訪れた母と田村さん)

進路選択も学生運動も自由にさせてくれた母ですが、「北九州で党の専従になる」と告げた時だけは反対されました。「ちゃんと就職してほしい…」。下宿に送られてきた手紙の文字はにじんでいて、それが母の涙だったのか、自分のものだったのかは、忘れてしまいました。

「貴昭を九州に行かせてよかった。たくさんの人の役に立って」。そう言ってもらえるのに時間はかかりませんでした。

いまは、「しんぶん赤旗」を読んで応援してくれています。

子の考えを尊重して、のびのび育ててくれたお母さん、ありがとう。いい季節になりました。また食事につきあってください。(しんぶん赤旗 2015年5月9日)

水曜随想 気持は「金帰火来」 田村貴昭衆院議員

 「金帰火来」。国会議員が金曜の夜に選挙区に帰り、週末に地元での政治活動をして火曜に東京に戻ることの意味だが、現実はそうはいかない。私の所属する総務委員会は今週、異例の月曜開催となった。予算案を早く通したい政権与党は、審議を急げと、窮屈な日程を持ち出してくる。

 委員会で討論に立っているときに、本会議招集のベルが鳴る、予算委員会の答弁に大臣が呼ばれると、常任委員会の審議は休憩となる。なんてところだ国会は。と思いながら、今週は3回の質問にたつ。暴走安倍政権とのたたかいは、見えない日程の中で、時間との格闘でもある。

 「社会保障を守れ」「労働法制の改悪許さない」「ストッフ!消費税増税」「原発ゼロヘ」等々、連日国会には切実な国民要求が寄せられる。デモ隊を励ます共産党議員団に「おっ、景色が変わった」「増えたなぁ。頼むぞ」と声がかかる。躍進を実感する瞬間だ。要求実現にがんばらねば。

 寒さに凍えた初登院の日からもうすぐ3カ月。首相官邸や議員会館まわりの植え込みの木々にも、新芽が出てきた。いっせい地方選では、大輪の花を咲かせたいものだ。あっちもこっちも応援に行きたいのだが、それがままならぬ歯がゆさ…。そんなとき、福岡の地方議員からメールが入った。「田村質問を聞いて、地方交付金活用による住宅リフォームを市に要望したら、商品券方式で実施することになりました」。地方と切り結んで、政治を動かすのは私の本望。とてもうれしい。

 国会での日々の活動を選挙にも生かすぞ。気持ちはいつも「金帰火来」である。(しんぶん赤旗 2015年月11日)